YAWARA! アニメを見直してみて

YAWARA!見直してるけど本当に面白い。

作者は、デビュー作から有名漫画家の巻末に載せてもらう程完成度が高かったけど、20代で養う家族があったため「売れる」漫画を描こうと思ったのだって。
王道の「修練して強くなる」のではなく「いきなり強い」。これぞ、プロ根性。作者視点で見ると、更に興味深い。

トゲアリトゲナシトゲトゲ

2〜3年前、私を愉しくさせる虫の存在を知った。

その名もトゲアリトゲナシトゲトゲ。

まず、トゲムシがいた。

棘のあるのトゲアリトゲムシ。

その中で棘の無いのがトゲナシトゲトゲ。

その棘の無いタイプにちょっとだけ棘があるのが発見された。

それがトゲアリトゲナシトゲトゲ。

・・・これで私は3杯ご飯が食べられると思った。

コールドムーン

さっきまで、煌々と光っていた、コールドムーンですが、タイミングを逃し、撮影時には陰ってしまいました。

令和元年最後の満月を仰ぎ見て、今夜はおやすみなさい。。。

わたし

今、ハチクロを読んでいると、美大が舞台なので、「絵を描きたくなる衝動をかられる人の存在」という部分に、大学のデザイン科出身の私は、とても共感できる。

私の幼い頃のその存在は、漫画家の「銀曜日のおとぎ話」の萩原睦美先生であり、「ダーク・グリーン」の佐々木淳子先生だった。

萩原睦美先生の鮮やかで優しい水彩画を描きたくて、ドクター・マーチンのインクを買った。

佐々木淳子先生の、ドラマチックなSF画を描きたくて、Gペンと丸ペンを買ってペン画を練習した。

中学の頃の私の成績は大体5で4がちらほら。
成績にブレがあった。
その中で安定してるのは美術だった。
3年間オール5 、10段階評価になってからは10 を取った。

描く絵はほとんど、壁に貼られ、卒業文集の表紙の「出発」がお題の絵は、表紙を飾り、本人がびっくりした。佐々木淳子先生の影響をもろに受けてるペン画だった。

蛇足だけど、ヤンキーが多い中学校だったので、貼られた絵が他の人の様に焼かれずに助かった。

実技付きの学科を含めた美術のテストは、学年一を取った。
実技のお題は、ピカソのゲルニカの続きを描けというものだった。

中3の担任は、アラフォーの快活な体育の先生だった。
何故か私を気に入ってくれ、私の「あの絵」が欲しいと言ってきた。
半透明で水色の、幾何学的で、立体的に集中線のごとくパースを付けた水彩画だった。

私は、本物は渡したくなかったので、自分の絵を模写して渡した。
全然納得のいかないものに仕上がってしまい、先生も不服そうに見えた。

私は高校に進んだ。学区一の進学校だったのに、学生の本分を忘れ、ブラバンに打ち込みすぎ、試験にパスする程度にしか勉強しなかった。

その高校で、毎年出版してる文集があった。
何か、「私が絵を描くらしい」と聞きつけた編集部の人が、私に絵を頼んできた。

表紙、裏表紙、扉絵、挿絵を任された。

表紙のお題は「グラスの向こうに街が見える」だった。
勝手に自分で決めたもの。

芸術の選択科目が美術だったので、多摩美術大学卒の先生に、グラスに映ったらこうはならないと指摘された。
確かにそう。観察が足りてない。

その頃、私はハレー彗星が来るのを、待ちわびていた。

扉絵は、砂漠を泳ぐ船を描き、航海士の的を描き、空中には宇宙の地図を描き、空には星を降らせ、右上に見えるか見えないか程度に、ハレー彗星を流した。

とても、気に入っている。

挿絵は部屋を描いた。

テーブルには、まだ料理の乗せられていない食器。絵の中に掛けられた額縁の絵には、万有引力の法則を象徴する林檎を逆さまにして、宇宙と対角線で繋げた。

子供は積み木で遊んでいる。
外では光々と、彗星が輝いているというのに、子供はそれに気づかず、遊んでいる。

裏表紙は無難に、ロンドンの街中を描いた。

進路を決める時が来た。

親兄弟のように、自然に理系に進む筈だったのに、勉強が足りてない。
好きな、地学か生物を選択したかった。

悩みに悩んだ。

私は口下手だったので、自分を表現するには、やっぱり絵だと思った。
高2で、美大受験用の冬季講習に参加した。
あまりの、基礎力の無さに愕然とした。

3年になって、本格的に学校帰りに、アトリエに毎日通うようになった。
受かる当てもない、美大。
同時にブラバンもやっていた私は、食欲と睡眠欲がせめぎあっていた。

通いながら、何度も何度も悩んだ。
少しずつ、評価されるようになり、壁に貼られるようになった。

1年目は有名美大しか受けなかった。
芸大は、石膏デッサンが大ハズレだった。
前から3番目の左端の席。
何の凹凸も特徴もない女性の石膏像「マリエッタストロッチ」。
夕方には西日が差してきた。
とてもじゃないけど、描けない。

2年目は総合大学の、美術学科を狙う事にした。
美大だと、人に偏りがあると感じたからだ。

一応、総合大学に受かった。
まず、ブラバンに友達と行った。音楽科の人が威張っていたので、二人して入るのを止めた。

他の友達に着いて行って、ふらりと
「生物自然研究部」に辿り着いた。
私は、仮面浪人するつもりだったから、部室に入り浸ってる割には入部しないので、同じ学年の人にいぶかしがられた。

結局、そのクラブが楽しくなり、私は卒業まで居座ってしまった。
美術を学び、鳥・虫・植物・山、多くの自然に触れる事が出来た。

農学部の人が多かったので、自然に生物を学んでいた。

卒業制作の時期が来た。

私は、初め「環境問題を訴えるポスター」を描こうとしていたけど、先生に却下され「抽象画」を描くよう指示された。

私は、リアリティのある仮想空間を描くのが好きだった。
難問過ぎて、8月までテーマが決まらなくて焦っていた。

ふと、本屋で詩集を2冊見つけ、やっと青写真が描けた。

「私の世界観」を描こう!

ミクロはマクロ
刹那は無限
死は生

冒頭は出会いから始まる。
人は見たいものしか、目に入らない。

クライマックスは、

【現在ー過去ー未来
生まれる前と、死んだ後
その中を流れる、血の鉄の星の輝き】

※お借りしている言葉です。

最後は、黄金率の螺旋で締め括った。
私のイメージする、無限の宇宙。

大体、そんな感じ。

試行錯誤の毎日だった。

結果、先生に大絶賛され、本屋に売り込みに行くように指南されたけど、二人の詩人の言葉を借りてるのでそれは出来ない。

この時、人生のテーマが出来たと思う。

「真理」の追及だ。
私の2つ名は「未来未知」になった。

卒業後にアラスカで、オーロラを見た。
めくるめく光のカーテン、落ちてきそうな満天の星空、普段は見られない天の川が大空を横切っている。

私の好きな本、立花隆の「宇宙からの帰還」位の衝撃だった。
私はオーロラ学の権威、赤祖父先生のテキスト本で勉強をした。
一眼レフカメラを駆使し、一枚オーロラの撮影に成功した。

概ね、私の道程は外れてなかった。

今、私は商業デザインをやりすぎて、自分の描きたい絵が分からなくなってしまった。

一つだけ、何十年も温めている、絵の構想があるのだけど、温めすぎて、卵の中で腐って、他の誰かにもう描かれてしまったかもしれない。

友達がある日、言った。
私は文章が上手いから小説を書いてみたら?

これをきっかけに私は、日記じゃなく、頭の中を、具現化するようにした。

私は今、言葉を紡ぎ、SNSの海に流して楽しんでいる。

この衝動が止まらなくなっている。

よこがお

今日は、針金で自分でラッピングした誕生石のアメジストを付けた、パープルの日。

普段は撮らない横顔。

前を見つめる。
そして、もっと遠くを見る。

大人になるって事

作りたては尖ってばかりで、

泣きながら食べてた柚子胡椒。

6週間経って丸みが出て旨味が増し、食べやすくなりました。

尖っていたくもあり、
丸くなりたくもあり、
そんな大人でありたい。

星降る夜に

ある日父が言った。

父は、九州の祖父を見送ってあげられたけど、
祖母は見送れなかった。
しし座流星群で星が舞い散る夜で
しし座流星群は嫌いになったらしい。

写真展にて感じた事

写真展にて感じた事

大田有美子さんの写真展
「いのちのかたち」に行って来ました。

とても素敵な写真が沢山並んでました。

写真に関しては素人なので、自分が感じた事しか言葉にできないのですが、

写真は、
発見であり、
発明であり、
試行錯誤であり、
自然現象の記録であり、
暮らしを見つめ直す機会であり、

そしてその全てが、
写真家さんに集約されているのだと。

太田さん、ありがとうございました。

https://zushi-art.at.webry.info/

今年の手作り柚子胡椒作り

先週の続きの柚子胡椒作りをやりました。

スリコギ使えば楽勝だと思ってた私が浅はかだった。

2時間汗だくで、スリコギと格闘。
青唐辛子の繊維は、もっと先にハサミで断ち切っておけばよかった。来年はそうしよう。

すり潰しまくって、パウダー状の天日塩を使ったから、滑らかで、それでいて超辛い柚子胡椒に仕上がると思う。

美味いもの食べるには、手間は惜しめない(笑)。